1年。
あの東日本大震災からちょうど1年が経ちました。
今日の午後2時46分、我が家にも「君が代」が聞こえてきました。
近くでセレモニーがおこなわれていたようです。
命を落とした方々のご冥福をお祈りいたします。
また、現在も復興に尽力している被災者の皆様を、心より応援しています。
さて、あの日いつものように留守番していた龍米はというと。
その夜、帰宅した夫によると、米は部屋の隅で震えていたそうです。
龍はいつも通りだったそうですが、きっと怖い思いをしたことでしょう。
幸い、倒れるような大きな家具もなく、ケガはありませんでした。
ここからは私事になりますが。
私は、宮城県の名取市に日帰りの出張で行ってました。
震災の時刻は、仙台市内に戻っていましたが、
帰りの手段をなくし、誰とも連絡がとれず、仙台駅の地下で一晩
ダンボールに座って休みました。
翌日は近くの避難所に移動し、やっと夫と連絡がつきました。
その後、たくさんの方々の励ましや協力により、
5日後には無事に千葉へ戻って来ることができました。
避難所「荒町小学校」で、おにぎりを配給してくださったボランティアの方々。
携帯の充電器を貸してくださった方々。
情報を集め、山形空港からの飛行機チケットを手配してくれた妹夫婦。
4日目、仙台から山形まで車で連れて行ってくださったた I 夫妻。
山形の I 夫妻のご実家では、温かい風呂、食事、布団を用意して
初対面の私を快く泊めてくださり、本当にお世話になりました。
仙台駅前で商品の牛タンを配っていたお店の方々。
自分たちも被災者(青森)なのに、断腸の思いで心配しただろう両親。
そして、連絡がとれない私の安否がわからず、災害伝言ダイヤルに
メッセージを入れ続けた夫。
たくさんの人々の温かい心と協力に救われた、貴重な体験でした。
その方々が、このブログをご覧くださる機会はないと思いますが、
私自身が、これからもお世話になった皆様への御恩を忘れることがないよう、
あえてここで記録に残し、お礼させていただきます。
本当にありがとうございました。